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【Back Number】
vol.35 2004年8月
『同調』


vol.34 2004年6月
『大人のまね』


vol.33 2004年4月
『数の認識』


vol.32 2004年2月
『新生児の味覚』


vol.31 2003年10月
『自然環境と子供』


vol.30 2003年9月
『乳児の視覚』


vol.29 2003年8月
『整理整頓』


vol.28 2003年7月
『母親の顔』


vol.27 2003年6月
『リサイクル』


vol.26 2003年5月
『母親の影響』


vol.25 2003年4月
『家のイメージ』


vol.24 2003年3月
『英語の習得』


vol.23 2003年2月
『住居・インテリアと人』


vol.22 2003年1月
『出生順位と知能の関係』


Vol.21 2002年12月
『一戸建てと集合住宅』


Vol.20 2002年11月
『読書行動』


Vol.19 2002年10月
『慣れ』


Vol.18 2002年9月
『発達検査』


Vol.17 2002年8月
『子供と色』


Vol.16 2002年7月
『親子関係』


Vol.15 2002年6月
『子供の好きな風景』


Vol.14 2002年5月
『親や教師からの期待』


Vol.12 2002年3月
『攻撃行動2』


Vol.11 2002年2月
『家具の配置』


Vol.10 2002年1月
『攻撃行動 1』


Vol.9 2001年12月
住居と健康』


Vol.8 2001年11月
『ごほうび 2』


Vol.7 2001年10月
『子供部屋について』


Vol.6 2001年9月
『ごほうび 1』


Vol.5 2001年8月
『子供の遊び場 2』


Vol.4 2001年7月
『言語学習』


Vol.3 2001年6月
『子供の遊び場』


Vol.2 2001年5月
『知能や性格は遺伝するもの?それとも環境によるもの?』


Vol.1 2001年4月
『子育てと住まい』
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2004年8月 同調


何か質問をされて、それに対して子ども達が答える際に、それが間違った答えであっても、 まず初めにある子どもから出された解答に、他の子ども達は同調するという場面によく遭遇します。 合っているか、間違っているか、をよく考えずに、とりあえず他の子どもの言葉を繰り返しているように見えます。

それでは、他者に同調するというのは、子どもに限ったことなのでしょうか。
大人でも、自分の考えとは異なっていると分かっていながら、大多数や専門家の意見に追従してしまうことがあるかと思います。 このような現象をAsch(1955)は実験で調べています。

 男子大学生が7〜9名教室に集められ、線の長さを比較する実験であると告げられます。1つのホワイトボードには 基準となる黒い垂直な線が書いてあり、もう一方のホワイトボードには様々な長さの黒い線が3本書いてあります。 この3本の黒い線の中から、基準となる線と同じ長さのものを選びます(*この問題は簡単であることを断っておきます)。

座席についている学生が一人ずつ順に答えを言っていきます。初めの2つの問題については皆同じ答えでした(正解)。しかし、 3問目では、集団の最後から2番目に座っている学生だけが異なる答え(この1名だけが正解)を言います。4問目でも同じ状況が続き、 この学生はだんだん不安になり、答えるまでに間が開き、声が小さくなりました。

実は、正解でありながら、集団とは異なる答えを出した学生が真の被験者で、大多数を占めている残りの学生は、 実験者からあらかじめ誤った答えを言うように教示されていました(さくら)。

このように、18問中12問において、大多数の学生が答えを間違えますが、正解がすぐに分かる問題であるにもかかわらず、 75%の被験者が誤った答えに同調しました。そして、同調した被験者は、平均して40%弱の割合で誤った答えを出しました。 集団の判断がおかしいなと感じていながらも、「自分が間違っている、皆が正しい」と結論づけてしまうことがあるのです。

次のような結果も示されています。集団の人数の影響を調べると、誤った答えを出す成員が3名以上になるとその効果が表れ、 どのような解答であろうと集団に同調する割合が30%強となります。一方、正しい答えに同調する人が一人いると、 多数者に判断を惑わされることが少なくなります。

 周囲の判断に反対するということがいかに大変なことか、容易に想像がつくことでしょう。特に子どもは、言われるままに 「はい」と返事をすることがあります。それが、本当の意志なのかを見極めることが、子ども自身、そして子どもを囲んでいる 人にも必要かもしれません。


引用文献 Asch,S.E. 1955 Opinions and social pressure. Scientific American,193,31-35.

(小方 涼子)



2004年6月 大人のまね


子どもの表情、しぐさや動作をみて、ドキッとすることはありませんか。まるで、自分を見ているよう・・・。

いやな癖に限って、子どもも同じことをしますよね。このように、子どもは大人を観察し、その行動などを模倣しています。それでは、いつ頃からまねをすることができるようになるのでしょうか。

Meltzoff & Moore(1983)は40名(男児18名、女児22名)の健康な新生児(生まれてからの時間は42分〜71時間)を対象に、次のような実験を行っています。

まず、内部が黒い壁で覆われた部屋を用意しました。その部屋の照明は消していますが、実験者の顔を照らすように2箇所にスポットライトが設置されました。
また、新生児の様子を観察するために、部屋の外から小さな穴を通してカメラが取り付けられました。実験者は壁と同じ素材のガウンを着用し、体が見えないようにした状態で、新生児から25センチ離れた場所に顔を出しました。

実験者は口を開ける動作を20秒、その後20秒間の無表情を経て、また同じ動作を繰り返す、これを4分間行いました。
次に、舌を突き出す動作を同じように繰り返しました。
2つの動作を行う順番は、新生児によってランダムになるようにしてあります。

実験者の表情に対する新生児の反応をビデオに撮影し、口を開ける動作と舌を突き出す動作に着目しました。

2つの動作ともに模倣できたかについて、その頻度を調べると、新生児の4割がまねており、また動作の時間については、半数の新生児が大人と同じ動作に対してより長い間、模倣していました。
片方の動作のみ模倣できたかについて調べると、その割合は6割程度と多くなります。もっとも、口を開ける動作に対して舌を突き出したり、舌を突き出す動作を見て口を開けたりする新生児もいました。

異なる動作の出現が、前の動作の模倣なのかについては検討されていませんが、この実験結果から、新生児が様々な表情をする中で、大人の顔をよく見て、まねしているということが言えるでしょう。

 生後間もない頃より模倣が可能であることから、子どもと接するときにはなるべく穏やか、にこやかでありたいものです。そして、子どもの表情、しぐさや動作が、自分自身を映していることに注意を払いたいですね。

引用文献 Meltzoff,A.N.,& Moore,M.K. 1983 Newborn infants imitate adult facial gestures. Child Development,54,702-709.

(小方 涼子)



2004年4月 数の認識


「数」を認識するのは、一体いつ頃からなのでしょうか。

言葉を話すようになり、数え方を教えても、それを理解できているとは思えません。
しかし、次の実験では驚くべき結果が示されています。なんと、生後1日から、新生児は2と3の区別をしているようなのです。

Antell & Keating(1983)は40名(男女児20名ずつ)の正常で健康な新生児(生後21-144時間)に対して、ある刺激を見せました。
その刺激とは15×15cmの白いカードに、直径8mmの黒点が印刷されているものでした。8枚の紙が用意され、それぞれに黒点が2個、3個、4個、6個あります。

慣化(habituation)1試行では黒点の数は同じですが、黒点の間隔(密度)および黒点の全体の長さが異なる2枚のカードを交互に呈示します。刺激は白いスクリーンに最大で40秒呈示され、また、新生児が2秒以上刺激から目を離した場合(目をつぶる、頭や体を動かす、泣く、眠る)は刺激の呈示を終了しました。刺激を見る時間が、初めの2試行よりも、最低8秒間減少するという試行が2回連続した後、慣化後試行へと移りました。

慣化後(posthabituation)試行では、2枚のカードに示されている黒点の数は異なり、2−3、3−2、4−6、6−4の4つの条件が設定されました。

例えば2−3条件では、慣化試行で2つの黒点カードを2枚見ます
([ ・ ・ ] [ ・   ・ ])。

慣化後試行では3つの黒点がついたカードが呈示されますが、それは、慣化試行で見た1枚と同じ黒点の間隔であり、もう1枚とは黒点を横に並べた長さが同じです
([ ・ ・ ・ ])。

慣化試行の最後2試行と慣化後試行の最初の2試行の凝視時間を比較した結果、2−3条件と3−2条件においてのみ、慣化後試行の凝視時間が長いことが示されました。つまり、新生児は慣化後試行の刺激が、新しいもの、以前と異なるものであると認識し、そのためにそれを凝視する時間が長くなったと考えられます。大きな数字に対しては刺激の相違を判断できませんが、小さな数字については、新生児であってもその差異に気づくことが明らかにされたのです。

このように、言語を用いて数を数えるようになる前に、すでに新生児の頃から数字を認識しているのです。生まれながらにして持っている数に対する認識が、年齢とともに発達して、より複雑な数を扱えるようになるのでしょう。

引用文献
Antell,S.E.,& Keating,D.P. 1983 Perception of numerical invariance in neonates. Child Development,54,695-701.

1 慣化・馴化(habituation):繰り返しまたは連続してある刺激を呈示すると、その刺激に対する反応が低減する過程のことです。その刺激に対して飽きることを示しています。

(小方 涼子)



Vol.32 2004年2月 『新生児の味覚』

 甘いお菓子を食べたとき、酸っぱい梅干を口に入れたとき、苦い薬を飲んだとき、人間はどのような表情をするでしょうか。

 Steiner(1979)はまず大人を被験者として調べています。
 水を統制刺激として、「甘い」「酸っぱい」「苦い」の3つの味がする液体を実験刺激として用意しました。
 水を舌に垂らすと、素早く飲み込み、顔の表情は変わりませんでした。
 甘い液体に対しては、口角を引き込むことにより唇を薄くし、そして、舌先を上唇につけて舌なめずりをしました。リラックスした表情とともに、満足したような微笑みを浮かべました。概して、喜びの顔を表しています。
 酸っぱい味には、唇を突き出したり、すぼめたりしました。それと同時に、目をつぶる、まばたきを繰り返す、鼻にしわを寄せるなどの行動をとりました。瞬間的に顔を赤らめることもあります。
 苦い液を口の中に入れると、即座に口角がくぼみ上唇の中央が上がり、アーチ型の口元に平らな舌がのぞきます。このように嫌気を示す顔を作ります。そして、頭を左右に動かし、頭を振る動作もします。

 味に対する表情は性別、年齢、民族、文化、教育背景にかかわらず共通して示されました。この結果から、表情の出現には反射が関係していると予想され、これを明らかにするために、味覚の経験が乏しい、あるいは全くない新生児を用いた実験が行われました。

 Steiner(1979)は、175名の男女の新生児を対象にしています。このうち100名は生まれてから3日〜7日経っていますが、残りの75名はまだ初乳を与えていない、生まれて20時間しか経たない時に実験を行っています。

 蒸留水を統制刺激として、甘酸苦の味がする3つの液体を実験刺激として用意しました。使い捨てのピペットに殺菌済みの液体0.5mlを入れ、新生児の口に垂らしました。

 その結果、新生児が味に対して、大人と同じような顔の表情を示し、仮説は実証されました。特に、酸には唇をすぼめ、苦には劇的に、激しく口角をくぼませ上唇を上げました。一方、甘には、新生児は微笑むような表情を示し、舌なめずりをしました。また、吸うという特徴的な行動をゆっくりととり、盛んに、楽しく、大きな音をたてながら吸いました。

 ミルクを飲み終えたにもかかわらず、まだ盛んに哺乳瓶を吸っている姿。またミルクを与えた後に、満足そうな、穏やかな表情を浮かべて、舌なめずりしている姿。乳児によく見られる行動かと思います。母乳やミルクが甘く、おいしい飲み物であることの証拠ですね。

Steiner,J.E. 1979 Human facial expressions in response to taste and smell stimulation. Advances in Child Development and Behavior,13,257-295.

(小方 涼子)



Vol.31 2003年10月 『自然環境と子供』

 ストレス解消法は,人それぞれ,様々な方法があります.おいしいものを食べること,体を動かすこと, 音楽を聴くことなど,いろいろとあるでしょう.
 先日ある人から,ストレス解消法は,「近所の公園で緑をみながらぼーっとすること」という話を聞きました. 森林浴の効果なども科学的に検討されており,ストレス解消法の一つとして,自然と接することが より一層注目されてきていると思われます.

  ところで最近では,大人だけではなく,小さな子どももたくさんのストレスを抱えていると言われています. では,自然と接することは,小さな子どもにとっても,ストレスを解消する体験となりうるのでしょうか.

 Wells(2003)は,農村地域に住んでいる小学校3年生から5年生までの子どもを対象として,子どものストレス状態に, 自然に囲まれていることが及ぼす効果を検討しました.子どもが家で囲まれている自然の量を調査し, 子どものストレスとの関係を調べました.

 その結果,自然に囲まれていることは,子どものストレスを軽減する効果があることが示されました.
 周りに自然が多い子どもたちの方が,少ない子どもたちに比べて,ストレスのもととなるような出来事などがあっても, その影響を受けにくいということがわかりました.
 つまり,自然に囲まれていることは,ストレスのもととなるものが子どもに及ぼす影響を緩和していると考えられるでしょう.

 このような研究の結果が示すように,自然に囲まれていることは小さな子どもにとっても良い影響があると考えられます. 都会で生活をしていると,自然に囲まれて暮らすということは,なかなか難しいことであるかもしれません. でも,家の中に観葉植物などを置くことだけでも,大人にとっても,子どもにとっても,ストレスを少なくし, 快適な生活を送ることができるのではないでしょうか.

参考文献
Wells, N.M. (2003) Near by nature: A buffer of life stress among rural children, Environment and Behavior, 35(5), 311-350.

(松本 聡子)



Vol.30 2003年9月 『乳児の視覚』

vol.28『母親の顔』に引き続き、乳児の視覚による知覚について述べたいと思います。

人間は乳児の頃から、視覚刺激を選択的に見ていることが明らかにされています。それでは一体、 どのような刺激を好んで見ているのでしょうか。

 Fantz(1961)は30名の1-15週の乳児を対象に、週1回、10週にわたって実験を行いました。 乳児は寝ている姿勢で、その上に視覚刺激をペアにして呈示しました。

 刺激は4ペアあり、渦巻きと水平線、格子柄と四角(以上、四角の枠内に示されている)、 十字と丸、三角と三角(同一図形)となっていました。これらの刺激は複雑性が異なり、徐々に単純な図形となっています。

 そして、1分間のうち、それぞれの刺激を注視した時間を測定した結果、渦巻きと格子柄については15秒間以上見ていました。 それに対して、その他の刺激は10秒前後しか注目されていませんでした。
 また、渦巻きは水平線よりも、格子柄は四角よりも長い時間見られていることが明らかになりました。
 十字と丸、2つの三角の間には差はありませんでした。

 このような注視傾向は、生まれた週数にかかわりなく示されたことから、学習の効果であるとは言えないようです。

 この他に、渦巻きと水平線について興味深いデータが得られています。

 6週目までの乳児は水平線をより見ているのに対して、8週目(2ヶ月)以降の乳児は渦巻きを多く見ていました。

 さらに、6つの平面的な図版を用いた実験も行われています。
 直径15センチの円形ディスクに、人の顔(黒丸の目に眉毛、鼻の穴が2つ、上向きの口、髪の毛)、 文字が印字されている一部分、渦巻き、赤の丸、白い丸、黄色の丸が描かれています。

 これを1枚ずつ呈示しますと、乳児は人の顔を一番長く注視し、次に、文字が印字されているものと渦巻きを見ました。 色のついた丸にはほとんど関心を示しませんでした。

 この実験では2-3ヶ月と3ヶ月以降の乳児を対象としましたが、どちらの群もほぼ同じ結果が得られています。 2ヶ月を過ぎると、乳児は顔の輪郭の外側から内側へと注視するようになると示されていることから (Haith,Bergman & Moore,1977)、2ヶ月を境に、注視対象が変わるようです。

 このように、乳児はより複雑な図形に興味を抱くようですが、図形を知覚する能力は学習されたものではなく、 後に物体や人間を認識するための基礎となると結論づけられています。


<引用文献> Fantz,R.L. 1961 The origin of form perception.
Scientific American,204,66-72.
Haith,M.M., Bergman,T.,& Moore,M.J. 1977
Eye contact and face scanning in early infant. Science,198,853-855.
(小方 涼子)





最近,収納術やモノの捨て方など整理整頓に関する様々な情報が見られるようになりました.

 整理整頓をして,家の中を片付けておくことは,見た目もきれいだということだけではなく,日々の生活もしやすくなると思われます.例えば,床にものが散らばっていて,室内を歩くときに邪魔になるといったことや,必要なものがすぐに出てこないといったことは,生活をする上でのいらいらの原因になると言えるでしょう.

 Matheneyら(1995)は,家の中の乱雑さ(これには,生活全体が"整理整頓されているか"といったことの一側面として,物の整理整頓が含まれています)について調査を行いました.

 調査に協力したのは,小さな子どものいる家庭でした.

 この調査で得られた一つの結果は,家の中の乱雑さと騒々しさのレベルとの間には関係があるということでした.つまり,家の中の乱雑さのレベルが上がると,騒々しさのレベルも上がるということが示されました.

 また,乱雑さと親の子どもに対する行動にも関係があることがわかりました.

 例えば,子どもが家の中を色々と探検してみたりする行動をやめさせたり,子どもが親に対して注意を向けて欲しいという行動を起こした場合にそれを無視してしまったりといったことが,乱雑さのレベルが上がるにしたがって,増加することが示されました.また,子どもに対して物の名前を教えるといったことは,乱雑さのレベルが上がるにしたがって,減ってしまうことが示されました.

 この研究では,生活全体について研究しており,物の整理整頓だけを問題にしているわけではありません.しかしながら,家の中の状態が混乱している(物を含めた生活全体の整理整頓が出来ていない状態)ことが,子どもへの接し方に対しても影響を及ぼしている可能性があるということがこのような研究の結果から示されたことを考えてみると,やはり,身の回りの整理整頓を心がけることは大切なことだと言えるのではないでしょうか.

参考文献
Matheny, A.P.Jr., Wachs, T.D., Ludwig, J.L., & Phillips, K. (1995) Bringing order out of Chaos: Psychometric characteristics of the confusion, hubbub, and order scale. Journal of Applied Developmental Psychology, 16, 429-444.


(松本 聡子)






 子どもが人見知りをして困ったことはありませんか。たまには、母親業を休んで一人になりたいと思っても、おじいさん、おばあさんに対してさえも泣き声をあげてしまい(「お父さんにも」かもしれませんが)、結局家を出られなかったなどという経験をお持ちの方は多いかと思います。

 子どもは、いつ頃から母親を認識するようになるのでしょうか。


 乳児の母親の顔に対する認知を調べた研究があります。
Bushnell, Sai & Mullin(1989)はイギリスにおいて、白人の乳児40名(男女20名ずつ。平均年齢48.82時間、年齢範囲12.5−101時間)を対象に実験を行っています。

 母親と、母親と髪の色が同じで、顔つきの似た見知らぬ女性が、白いスクリーンの一部が切り取ってある2つの穴から、それぞれ一斉に顔を出します。洋服は見えないように、白いシーツを首に巻きました。乳児は2つの穴の中心から30センチ離れたところに位置し、いずれかの人、またはそれぞれの人を20秒間凝視すると実験は終了となります。その後、母親と見知らぬ女性が顔を出す穴の位置を換えて、もう1試行同じ手続きを行いました。

 母親を凝視した時間の割合を調べた結果、乳児の性別、試行(2試行行いました)、授乳方法(母乳・哺乳瓶)において違いはありませんでした。

 そして、母親と見知らぬ女性を凝視した時間を比較すると、母親を凝視している時間が多いことが分かりました。乳児が母親や見知らぬ女性を凝視する様子を見た大人は、母親と見知らぬ女性の行動から、誰が母親かを正確に言い当てることができませんでした。

 このことから、乳児が母親をより凝視するのは、母親が乳児の注意を引くような素振りを示しているからではないようです。生まれて間もない乳児で、まだ母親に接する機会が少ないにもかかわらず、母親の顔を選んで見ているという事実には驚かされます。乳児は視覚を用いて、母親と母親以外の人を区別しているようです。

 人間は乳児の頃から、視覚刺激を選択的に見ていることが他の研究によって明らかにされています。どのような刺激を好むのかについて、次回のテーマにしたいと思います。

<引用文献>
Bushnell,I.W.R., Sai,F.,& Mullin,J.T. 1989 Neonatal recognition of the mother's face. British Journal of Developmental Psychology,7,3-15.


(小方 涼子)






現在「リサイクル」という言葉は,私達にとってとても身近なものになっています.各自治体によっても異なりますが,資源ゴミ(新聞紙,ビン,缶など)などは,分類して回収し,リサイクルされているようです.しかし,ただ,「リサイクルしてください」と言うだけでは,なかなか人々の協力が得られないというのが現実かと思います.

例えば,ビン・缶を資源ゴミとして出す場合,ただ「木曜日が資源ゴミの日なので,ビンや缶を出してください」と呼びかけるだけではあまり効果がないと考えられます.しかし,ビンや缶と書かれた容器が置いてあれば,家にあるビンや缶を資源ゴミとして出すことがそれほど面倒ではなくなるのではないでしょうか.

このように,リサイクルを促す方法をデザインという視点から検討した研究があります(Humphrey, et al., 1977).

リサイクルと言ってまず思い浮かぶのが,紙類といっても良いでしょう.新聞紙だけではなく,雑誌,またオフィスで出る紙類などもリサイクルされています.紙類をリサイクルするためには,きちんと分別することが必要です.

この研究では,3つのパターンのゴミ箱を設置しました.第一のパターンは,「リサイクルできる紙」,「リサイクルできない紙」という2つのゴミ箱を設置するものです.第ニのパターンは,一つのゴミ箱で「リサイクルできる紙」を入れる部分と「リサイクルできない紙」を入れる部分で別れているものです.最後の第三のパターンは,個人が「リサイクルできる紙」を入れるゴミ箱を持ち,オフィスの中央に一つ「リサイクルできない紙」を入れるゴミ箱を置くというパターンです.実験は10週間の間行われ,「リサイクルできる紙」ゴミ箱に「リサイクルできない紙」が入っていないかチェックされました.

その結果,第一と第二のパターンでは,92%の紙がきちんと分類されていました.また,第三のパターンでも,84%が分類されていました.つまり,デザインが設定されていることにより,きちんと分類するという行動に対する負担が少なくなったように思えます.

以上のように,デザインを操作することによって,リサイクル行動が義務としてではなく,日常の一環としてなされるようにすることは可能であると考えられます.家の中でも,家族が気軽にリサイクルに取り組めるようなデザインの工夫をすると楽しいのではないでしょうか.

参考文献
Humphrey, C. R., Bord, R. J., Hammond, M. M., & Mann, S. H. (1977). Attitudes, and conditions for cooperation in a paper recycling program. Environment and Behavior, 9, 107-124.

(松本 聡子)





  一般的に、自分で選択し、自律性のある行動に対しては内発的動機づけが高まると言われています。これは欧米人を対象とした研究結果であり、我々のようなアジア人にも適用されるものなのでしょうか。これを検証した実験があります。

 Iyengar & Lepper(1999)は、2-4年生のアジア系アメリカ人とアングロ系アメリカ人を比較する目的で、次のような実験を行っています。

  アジア系とアングロ系の被験者はほぼ同数でした。被験者は6つのカテゴリーからなる、アナグラムというアルファベットの綴りを換える課題を行い、ランダムに3つの実験群に分けられました。

  自己選択群は、カテゴリーの中から自分の好きなものを選択します。実験者選択群には、実験者がカテゴリーの中から遂行する課題を与えました。
  そして母親選択群には、被験者の母親がカテゴリーをあらかじめ選択した旨を伝えました。

  それぞれの群は6分間の課題を終了した後、実験者は採点のためにと6分間席をはずします。その間は実験室の中で何をしていてもよいと言われますが、この際の行動は観察され、被験者がアナグラム課題に費やした時間を内発的動機づけの指標として用いました。

  アジア系・アングロ系アメリカ人といった民族性と、実験群において課題の正答数と内発的動機づけに差異があるかを調べたところ、実験群によって民族性の特徴が示されました。
  アングロ系アメリカ人は自己選択群において、一方、アジア系アメリカ人は母親選択群において最も正答数が多いことが分かりました。
  同じ傾向は内発的動機づけにおいても見られ、アングロ系アメリカ人は自己選択において、アジア系アメリカ人は母親選択において、課題終了後も同じ課題に取り組み、高い動機づけを示しました。

  被験者が正答した問題に興味を強く抱いたのかどうかを調べるためにさらなる分析を行っていますが、動機づけの高さは正答数の多さによるものではなく、民族性と選択者の違いによるものであることが明らかにされています。

  上述の結果には、自主性を重んじるアングロ系と、相互依存性の高いアジア系といった民族性の違いが関係しているようです。アジア系は自分の所属している集団に対する意識が強く、その集団内の重要な人物からの影響を強く受けるということなのでしょう。アジア系は自分のやりたいことをやっているように見えて、実は母親などの顔色を伺いながら行動しているのかもしれませんね。

Iyengar,S.S.,& Lepper,M.R. 1999 Rethinking the value of choice: A cultural perspective on intrinsic motivation. Journal of Personality and Social Psychology,76,349-366.

(小方 涼子)






  「住居・インテリアと人」でも書きましたように,「家」や「住居」は人が入る単なる「箱」というだけのものではないと考えられます.今回は,家のイメージや好みについての研究を紹介したいと思います.

 人はそれぞれ好みの家のイメージを持っています.住宅展示場などに行くと,様々なタイプの家を見ることができます.自分の思い描いている家のイメージにぴったりくるもの(好みの家と言ってよいでしょう),そうではないもの,色々あります.

 Devlin(1994)は,家の好みについての研究を行っています.
 
大学生に対して,全部で14タイプの家(全て一戸建て)について,好み(住みたいかどうか)を聞きました.

 調査の結果,性役割によって家の好みが異なる可能性があること,人が好きな(嫌いな)家のタイプがあること,などが指摘されました.

 例えば,家の好みと性役割に関しては,男性性の強い人はモダンな家を,女性性の強い人は農家タイプの家を好む傾向が見られました.
 
 また,全タイプの家を通して,郊外に住んでいた人の方が,都会に住んでいた人より,評価が高いということが示されました.都会の人は一戸建ての家に親近感があまりないため,評価が低くなったという解釈が考えられますが,そのような場合,家の好き嫌いを判断する際に,親近感が何らかの影響を及ぼしていることが予想されると筆者は述べています.

 一方,日本のような一戸建て志向の強い国では,「一戸建てに住んでみたい」という気持ちは都会に住んできた人の方が強いのではないかと考えられます.この他にも,地域による好みの違いなども指摘されています.

 「自分のイメージしていたような家に住むこと」ができれば,その家の住み心地は最高に良くなるはずです.しかし,必ずしもイメージ通りの家に住むことができるとは限りません.イメージとは少し違うけれど,都心に近いから…と言うように,何か別の側面で折り合いをつけているのではないでしょうか.

 前々回と今回,2回にわたり,家と人との関係について述べてきました.このような視点から「家」や「住むこと」を考えてみるのも面白いかもしれません.

参考文献
Devlin, A.S. (1994). Gender-role and Housing Preferences. Journal of Environmental Psychology, 14, 225-235.


(松本 聡子)






  子どもが母国語である日本語を話す以前から、第2外国語(英語の場合が多いと思います)を習得させようと躍起になっている方が多いのではないでしょうか。この時代にバイリンガルでないと辛いわよねと、ご自分の経験から考えるのは当然かと思います。

 子どもが生まれるとどこから情報を得るのか、英語教材のダイレクトメールが次から次へと届きます。その数日後には、無料サンプルのビデオをお送りしますという電話がかかり、その甘い言葉に誘われ、何本取り寄せたことか・・・子どもには英語で苦労させたくないという親心がくすぐられるのです。

 それでは一体、いつ頃第2外国語に接することが、その習得には必要なのでしょうか。
 
 英語を第2外国語として学んだ中国人と韓国人を対象に、アメリカで実験が行われています (Johnson & Newport,1989)。 何歳のときにアメリカに渡航し、英語を母国語とする人にはじめて接したか−この年齢(3-7歳、8-10歳、11-15歳、17-39歳の4群に分類)に着目し、英語の文法テストの成績を比較しています。

 その結果、ネイティブの人と成績に差がみられなかったのは3-7歳の群で、他の群に比べて最も高い成績でした。そして、渡航年齢が上がるにつれ、徐々に成績は下がっていきました。また、各群の点数のばらつきを調べると、年齢が上がるとともにそのばらつきは大きくなりました。10歳まではそのばらつきが比較的少なく、17歳以上で最大になりました。

 言語習得の目安(敏感期)として、思春期が挙げられており、これ以前ですと習得は可能であると考えられています。ここで得られた結果はこれを支持するのです。つまり、思春期以前であれば、新しい言語に接することで誰でもその習得が可能ですが、思春期を過ぎてしまうと、誰でもというわけにはいかず、それなりの努力が必要になるということでしょう。

 また、言語習得要因の一つとして、アメリカの文化に溶け込んでいることも重要であることが示されています。言葉だけではなく、それも含めた文化に慣れ親しむことが、言語習得を早めることになるのかもしれません。

 決して英語教育を煽るわけではありませんが、上記の実験結果を踏まえると、小学生以前から英語に慣れると、ネイティブ並みの語学力がつくことになります。しかし、言語を習得したからといって、中身のない会話内容や文章では意味がありませんよね。自分の頭で考えることを習得させることも大切なことではないでしょうか。


引用文献
Johnson,J.S.,& Newport,E.L. 1989 Critical period effects in second language learning: The influence of maturational state on the acquisition of English as a second language. Cognitive Psychology,21,60-99.


(小方 涼子)





 住居は、寒さや暑さ、危険などから身を守る「箱」という視点からだけで捉えられるものではないと考えられます。インテリア(家具の配置など)についても同様で、「使いやすさ」だけを追求しているものではないと思われます。多少使い勝手が悪くても、自分らしさや家族のつながりを表現できる工夫など、プラスαの要素が必要とされているのではないでしょうか。

 Lawrence(1987)は、インテリアについて、心理的な側面から検討している研究を紹介しています。

 例えば、人々は家庭にある「モノ」について、金銭的な価値や使い勝手という視点から評価しているだけではなく、自分自身や他の人との関係性を表すものとして評価をしているという研究結果が挙げられています。

 また、植物や内装、個人の持ち物などは、個人およびグループのアイデンティティーを互いに関連づける役割を果たしたり、自己評価を反映したりするものであるということも指摘されています。

 さらに、Lawrence(1982)は、暖炉を取り入れること、どんな大きさ・形の部屋を住居のどの部分に配置するかといったことや、動かせない部分(階段など)・動かせる部分(家具など)の配置などは、予算といった金銭的な側面や使い勝手といった実用的な側面からだけでは、充分に説明することができないとしています。

 そして、住居の間取りの検討や装飾といったことは、個人的な要因―例えば過去の経験、憧れ、好みなど―と密接な関係があるとしています。

 以上のような結果を考慮して、住居内の空間やモノの使い方について、住む人の間でコンセンサスが得られていないことは、けんかや対立の原因になりえるとしています。

 最近では、テレビや雑誌でリフォームの企画というものをよく見かけますが、「地中海風」とか「バリ風」など、リフォームのコンセプトとして、「安く」とか「使いやすく」といった実利的な側面よりも、「個人(あるいは家族)の好み」という側面が強調されているように感じます(企画ということもあるでしょうが…)。
 住居内の家具の配置や、何気なく飾っているモノも、住んでいる人自身を映し出している側面もあると言えるのではないでしょうか。

Lawrence, R.J. 1982 A psychological-spatial approach for architectural design and research. Journal of Environmental Psychology 2 37-55.
Lawrence, R.J. 1987 What makes a house a home? Environment and Behavior 19(2) 154-168.

(松本 聡子)




 「上の子どもは出来がいいのに、下の子どもはどうも・・・」
 「真中の子どもは頭がいいのよ」
など、子どもが複数いる家庭においては兄弟姉妹の比較をしたくなります。ご両親や周りの方が感じるような、兄弟姉妹間で知能の差異はあるのでしょうか。

 「出生順位」に着目した研究を紹介しましょう。

 Belmont & Marolla(1973)はオランダにおいて、一人っ子から9人兄弟までの家庭を対象に調査を行い、驚くべき結果を示しました。
 それは、兄弟がいる場合はいずれも第一子の知能が一番高く、出生順位が下がると共に知能も下がるというものでした。また、第一子の知能は兄弟の数が増えると共に下がり、つまりは、2人兄弟の第一子の知能が一番高いと示されました。一人っ子については、4人兄弟の第一子の知能とほぼ同じ水準でした。

 この結果の説明として、心理学者のZajonc & Markus(1975)は集合モデル*(confluence model)を提唱し、出生順位や家庭の規模、兄弟の年齢差が子どもの知的発達に影響を及ぼすと指摘しています。
 
 社会学者のBlake(1981)はアメリカにおいて調査を行い、家庭の子どもが増えると、資源(資産、栄養、両親の愛情、両親の注目など)が細ることから、それぞれの子どもの質が低下することを希薄モデル*(dilution model)として示しました。

 以上のような見解をそのまま受け止めてよいのでしょうか。

 Page & Grandon(1979)は混合モデル*(admixture model)の中で、出生順位という家庭内のことを家庭の枠を越えた兄弟間で比較している点に問題があり、実際には、出生順位や兄弟の数と知能の間には関係性はなく、これらの関係は両親の知能程度に影響を受けると示しています。

 Rodgersら(2000)は家庭内の関係性を中心に、すべてのデータが揃った家庭を対象として調査を行った結果、兄弟間において知能の差は見られず、出生順位は知能と関係がありませんでした。ただし、一人っ子は兄弟のいる人よりも知能は高く、兄弟が増えるにつれ知能は低くなりました。これは、母親の知能と兄弟の数の関係を調べるとマイナスの関係があったことから、知能の低い親は子どもを多くつくるという結果によるものと考えられます。

 同じ家庭で育つ兄弟においては、出生順位が知能に顕著な差を及ぼすことはないことがお分かりいただけたかと思います。

 以上示したように、一口にデータといっても、その扱い方によって異なる見解が導かれます。冷静な目でデータを見ることは大切なことですね。

<引用文献>
Belmont,L.,& Marolla,F.A. 1973 Birth order, family size, and intelligence. Science,182,1096-1101.
Blake,J. 1981 Family size and the quality of children. Demography,18,421-442.
Page,E.B.,& Grandon,G. 1979 Family configuration and mental ability: Two theories contrasted with U.S. data. American Educational Research Journal,16,257-272.
Rodgers,J.L., Cleveland,H.H., van den Oord,E.,& Rowe,D.C. 2000 Resolving the debate over birth order, family size, and intelligence. American Psychologist,55,599-612.
Zajonc,R.B.,& Markus,G.B. 1975 Birth order and intellectual development. Psychological Review,82,74-88.

<脚注>
* 筆者による翻訳です。

(小方 涼子)




 住宅情報誌などでは,よく一戸建て住宅と集合住宅の比較の特集が組まれています.では,両者の間には,居住者に対する影響についてどのような違いがあるのでしょうか.

 一戸建てと集合住宅の間で,居住者の健康状態などを調査した研究が数多く行われています.研究結果の多くは,集合住宅と一戸建ての居住者を比較した場合,集合住宅の居住者の精神的な健康度が低いことを示しています.

 例えば,Fanning(1967)は,一戸建てと3階あるいは4階建ての集合住宅に住んでいる1,500人の女性を対象として,精神的な健康度の調査を行いました.その結果,集合住宅に住んでいる女性の方が精神的な健康度が低いことが示されました.

 さらに,Richman(1974)は,高層住宅,低層住宅(4階以下),および一戸建て住宅に住む75組(各住居形態25組ずつ)の母親と子どもを対象としてインタビューによる調査を行いました.住居形態間で,精神的な不調(疾患)を訴えている母親の割合や子どもが問題行動を示す割合に違いは見られませんでした.しかし,集合住宅に住んでいる母親の方が,鬱傾向があり,孤独を感じており,さらに自身の住居に対して不満が強いことが示されました.

 また,Edwards, Booth, and Edwards(1982)は,子どものいる560世帯を対象として調査を行った結果から,住居形態によって生じる違いが家族や家族関係(親子関係や夫婦関係)に及ぼす影響について,対象者によって影響が見られる場合と見られない場合があることを報告しています.

 一方,異なる結果を報告している研究もあります.Moore(1974)は一戸建て・集合住宅に住む女性を対象に調査を行った結果,住居形態によって精神的な健康状態に違いは見られなかったことを報告しています.

 以上のように,これまでの研究においては一貫した結果が得られているわけではありません.また,このような研究においては住居形態と関係のある様々な要因の影響についても考えていかなくてはならないと思われます.
 
 よって,住居形態による居住者の影響が明らかになるまでには,まだまだ研究が必要なのではないかと考えられます.しかし,それぞれの住居形態の長所・短所を見極めながら,自分自身が満足できるような快適な住生活を送ることも,居住者が受ける影響を考えていく上で,重要な役割を果たしていると考えられるのではないでしょうか.

Edwards, J., Booth, A., & Edwards, P. (1982) Housing type, stress, and family relations. Social Forces, 61, 241-257.
Fanning, D.M. (1967) Families in flats. British Medical Journal, 4, 382-386.
Moore, N.C. (1974) Psychiatric illness and living in flats. British Journal of Psychiatry, 12a, 500-507.
Richman, N. (1974) The effects of housing on pre-school children and their mothers. Developmental Medicine and Child Neurology, 16, 53-58.


(松本 聡子)





 子どもがはじめて接する本は絵本でしょう。布の絵本や、文章がなく絵だけの本など、乳児のうちから親しむことができます。絵本では活字を追うわけではありませんが、大人が読み聞かせることで、子どもは本から多くの刺激を受けることでしょう。最近はビデオ教材が豊富で、テレビを通して幼児教育を行う機会が増え、子どもに本を読んであげるという行動が減ったように思われます。

 Haskett & Lenfestey(1974)は3-5歳の子ども8名を対象に、週3日あるプレスクールで8週間にわたり研究を行いました。教室には12冊の絵本のほかに、机・椅子、おもちゃ、レコード、お絵かき道具、粘土、ワゴンが置いてあります。このような環境において、一日の午前・午後に15分間ずつ(15分を1セッション)子どもの読書行動を観察しました。ここでいう読書行動とは、開いている本を見ていること(1人で・友達と一緒に)と、チューターが読んでいる本を見ていることです。

 まず、子どもの読書行動のベースラインとして7セッションを観察した後、「新しい本の導入(1セッションにつき10-15冊)」と「チューターによる朗読」を続けて5セッションずつ行いました。いずれのセッションにおいても、チューターが本を読むことや聞くことを子どもに勧めたりはしませんでした。

 観察の結果、ベースラインで読書行動を示した子どもはいませんでした。そして、新しい本を導入するとある程度の読書行動がみられ、チューターによる読み聞かせを行うと、その行動はさらに増加しました。しかし、読書行動について細かく調べると、チューターが読んでいる本を見ている行動の多いことが分かりました。

 つまり、自分から本を開いて読み、お友達と本を一緒に見ることはあまりしていないのです。3-5歳という、まだ活字を正確に追えない年齢を考えると当然の結果とも考えられ、人を介してであっても、子どもがお話に興味をもったことに変わりはないでしょう。

 このように、子どもへの様々な本の提供が、子どもの好奇心を育むことにつながるという期待をこめて、読み聞かせをしてはいかがでしょうか。


Haskett,G.J.,& Lenfestey,W. 1974 Reading-related behavior in an open classroom: Effects of novelty and modeling on preschoolers. Journal of Applied Behavior Analysis,7,233-241.


(小方 涼子)





  私達は日々,環境から様々な刺激を受けています.刺激には快いものもありますが,不快な気分にさせられるものもあります.例えば,線路や交通量の多い道路の近くに住んでいると,絶え間なく騒音や排気ガスに悩まされます.このような不快な刺激は,私達の健康にマイナスの影響を与えることがあります.しかし,同じような刺激を長い時間にわたって受けつづけていると,慣れ(habituation)が生じ,あまり刺激を感じなくなるのです.

 私達は様々な刺激に対して慣れを形成しています.先ほどの例で説明をしてみます.大きな道路の近くの家に引っ越してきた人は,始めは騒音に悩まされ,夜なかなか眠ることができないでしょう.しかしながら,いつまでも眠れないわけではありません.ある程度の時間がたつと,その騒音に慣れてしまって,眠ることができるようになるのです.
 
 では,慣れが形成され,刺激に対してあまり反応しなくなった場合,その刺激は「存在しない」と同じことになるのでしょうか.騒音について考えてみると,気になる・慣れてしまって気にならないに関わらず,慢性的なストレッサーとなると言われています(Levy-Leboyer, 1982).

 ところで,慣れを生じさせるような刺激には特徴があります.その刺激が単調で規則的(予測できるかどうか),そして極端に不快ではないことです.予測できない刺激や脅威と感じられるような刺激に対しては,慣れが形成されにくいのです.例えば,エアコンの室外機の音などは,それほどうるさいわけでもなく,継続して音がしているので,そのうち全く気にならなくなります(聞こえなくなると,逆に落ち着かなくなってしまう場合もあるようです).一方,落雷の音のように,次にいつ来るか予測のできない刺激に対しては,以前に一度経験していたとしても,なかなか慣れることはできないと言えるでしょう.

 「慣れる」ということは,ある一面では,生活をしていく上で必要なことであると考えられます.しかし,「電車の音がうるさい」とか「排気ガスがくさい」といったように,私達が気になっている段階だけではなく,気にならなくなった段階においても,私達はその影響を受けているということは注意しなくてはならないことであると思われます.

Levy-Leboyer, C. (1982) Psychology and environment. London: Sage.

(松本 聡子)





子どもが産まれる前は子どもの個性を尊重して、誰とも比較しないなどと考えていても、新生児室のベッドに数人の赤ちゃんが並んでいるのを見た瞬間に、「我が子の方がかわいい」「我が子は小さい・・・」といった他者との比較が始まります。

 子どもの成長と共に、体の大きさや活動性における身体的発達だけではなく、内面の比較も行うようになります。言葉が早く出たといった言語的発達、物事の認識ができるなどの認知的発達、バイバイと手を振ったり、友達と一緒に遊ぶといった社会的発達など、発達といっても様々な側面があります。これらを統合して「発達」と呼ぶわけです。

 子どもが年齢に応じた発達をしているのかということは、その子どもを取り囲む人たちの関心事です。母子手帳に、年齢に応じた発達の指標となる項目が書かれていますが、区や市において、定期的に医師による検診が行われ、発達検査が行われます。その際には、身長や体重を測定するだけではなく、ちょっとした検査があります。
 きちんと歩くことができるか、片足でケンケンができるかという運動に関しての確認をします。階段を1人で上り下りできるかなど、実際に検査ができない状況(例えば、階段が近くにない)では、母親など養育者による報告で判断しています。また、積み木を積み上げたり、鉛筆をもって紙に描かせたりして、認知に関する課題を行います。
 
 このように、その年齢の半数の子どもができる検査課題を用意し、課題ができる・できないで発達段階を調べるのです。身体的発達や認知的発達などに関する項目についての検査が終了すると、発達指数(Developmental Quotient:DQ)が算出されます(直接、子どもの発達指数が親に伝えられることは少ないようです)。

 発達検査は通常、小さな部屋で行い、実験者と被験者である子どもの2人が入ります。子どもが小さく、母親と離れたがらない場合は、同室することもあります。部屋の状態にもよりますが、可能であれば、母親がマジックミラー越しに検査室を観察できるといいですね。親の目の届かないところで、子どもがどのような態度や行動をとっているかは、知りたくても知ることのできないものです。
 
 しかし、隣の部屋からこっそりのぞけば、子どもの新たな一面を垣間見ることができます。期待をもって見るというよりは、ありのままの姿を観察し、成長したことの喜びを感じることが大切でしょう。年を追って発達検査を行えば、その成長ぶりは明らかです。年齢によって行う課題は異なりますが、実験者とのやりとりにも変化があることと思います。2歳児では、実験者と遊んでしまって、なかなか検査が進まないということもありますが、3歳児・4歳児になるにつれ、的確に問題に答えるようになるでしょう。発達指数という数字に縛られることなく、子ども自身を見てあげることが重要です。

(小方 涼子)





 先日,デパートの子ども服売り場に行く機会がありました.子ども,それもより小さい子どもの服は,まだまだ"男の子色","女の子色"の区別がはっきりしていると感じました.

 一般的にブルーは"男の子色",ピンクは"女の子色"という傾向があるようです.特に,ピンクは女の子の色という根強い考えがあると考えられます.また,どちらでも使える色として,黄色,白などが挙げられます.

 小さい頃,男の子・女の子の区別が顔でできない場合,「ピンクの服だから女の子」と考えてしまうことは多いと思います.年齢が上がるにつれて,男の子色,女の子色という区別はあまりなくなってくるようですが,やはり小さな子どもの服や部屋に使われている色には違いがあるようです.

 Pomerleau, Bolduc, MalcuitとCossette(1990)は,カナダ・ケベックに住む2歳以下の男の子・女の子の環境を調査しました.おもちゃについては,男の子と女の子では持っているものが違っており,それは昔ながらの「男の子ならXX」,「女の子ならXX」という考え方を反映しているものでした.

 さらに,女の子は多くの場合,ピンクあるいは様々な色の服を着て,ピンクのおしゃぶりを持っていました.反対に,男の子はブルー,赤,白の色の服を着て,ブルーのおしゃぶりを持っていました.このように小さい頃から,色が持つステレオタイプによって,男の子・女の子が分けられているのです.

 また,小さい子どもが好む色にも性別による違いが見られるということを,CohenとTrostle(1990)が報告しています.彼らは,幼稚園と小学校一年生に,好きな環境についての調査を行ないました.その結果,女の子は男の子に比べて,明るい色や複雑な形を使っていて,複雑な刺激がたくさんある環境を好む傾向があることがわかりました.

 これらの研究の結果を見てみると,小さい頃は,周りの大人が"男の子色","女の子色"を基本に洋服やおもちゃをあげていますが,それが成長しても,自分の好みとなっている傾向が伺えると思います.子ども自身が好きな色と,よく着せている洋服の色やおもちゃに多い色,つながりがあるのではないでしょうか.


Pomerleau, A., Bolduc, D., Malcuit, G., & Cossette, L. (1990). Pink or blue: Environmental gender stereotypes in the first two years of life. Sex Roles, 22 (5-6), 359-367.
Cohen, S., & Trostle, S.L. (1990). Young children's preferences for school-related physical environmental setting characteristics. Environmet and Behaviour, 22 (6), 753-766.


(松本 聡子)





 「ママにばかりなついて・・・」と嘆いているパパは多いかと思います。母乳やミルクを与える頻度が多いから仕方がないと、割り切って考えていませんか?それでは、子どもと養育者との間には、どのような関係が成立しているのでしょうか。

 Harlow(1959)は、アカゲザルの赤ちゃんを用いた実験を行っています。生まれて数時間後にママザルから離された赤ちゃんザルは、代理ママと一緒にかごの中で育てられます。代理ママには2種類あります。針金がむき出した円柱形の胴体に、目に穴があいているだけの木製の顔がついているもの(針金ママ)と、針金の胴体に布を巻きつけ、顔の部位がはっきりしているもの(布ママ)です。どのサルも2匹の代理ママと過ごしますが、針金ママ群は針金ママの胸から出ている哺乳瓶をくわえ、布ママ群は布ママからミルクをもらいました。すべての赤ちゃんザルは同じ量のミルクを飲み、同じように体重も増えました。

 それでは果たして、赤ちゃんザルはミルクをくれる代理ママになついたのでしょうか。

 残念なことに、布ママ群だけではなく、針金ママ群のサルも布ママと多くの時間を過ごしました。このように赤ちゃんザルは、養育してくれるママであるかにかかわらず、柔らかな感触を求めて、布ママに抱きついたのです。  
 
 その後Harlow(1959)は、赤ちゃんザルを見たことのないおもちゃなどがある新規な部屋に置き去りにして、その反応を調べました。すると、サルは部屋の隅に縮こまり、泣き叫びました。それでは、代理ママを同じ部屋に入れるとどうでしょうか。上記の研究からも予想されるように、針金ママではこの事態を解決することはできませんでした。それに対して、布ママが一緒の場合は、即座に布ママにしがみつきました。そして安心感を得ると、布ママを離れてはおもちゃを触り、またママの元に戻っては部屋を探索するということを繰り返しました。

  この2つの研究から、赤ちゃんザルはママとの心地よい接触により、ママは安全なところで、自分を守ってくれる存在であるという認知を育んでいることが分かります。概して、男性よりも女性の方が、柔らかな体つきをしています。パパよりも、ママのところへ抱っこを求めるのは、仕方のない部分もあるかもしれません。しかし、パパは針金ではないのですから、日頃から子どもと接触をもつことが重要でしょう。


引用文献 Harlow,H.F. 1959 Love in infant monkeys. Scientific American, Offprint 26.

(小方 涼子)





 私達にはそれぞれ見るとほっとしたり,いいなぁとか感じたりする眺めや風景があると思います.多くの人が同じように心ひかれる風景もありますが,「この風景が好きだ」という感じは,年齢によって違うものなのでしょうか?

 Zubeら(1983)は,様々な年齢の人(6〜70歳)を対象にして,風景の好き嫌いを調査しました.この調査の結果,年齢層によって,風景に好き嫌いがあるという傾向が明らかになりました.例えば,小さい子どもにとって,風景の中の「自然」や「複雑さ」は,あまり魅力的な要素とはなりませんが,一方,「水」は非常に魅力的な要素となることがわかりました.

 また,Ballingら(1982)は, 8歳,11歳,15歳,大学生,大人,高齢者の5つのグループに,5種類の自然の風景(熱帯雨林,砂漠,サバンナ,落葉樹林,針葉樹林)の評価をしてもらいました.その結果,小さな子ども(8歳と11歳)は特に「サバンナ」を好むという調査結果を得ています.その理由として,成長課程における様々な経験の影響をあげています.

 さらに,Bernaldezら(1986)は,11歳と16歳の子どもたちを対象に調査を行ない,二つの年齢層間の違いを検討しました.

 Bernaldezらは,風景の好き嫌いには以下の3つの側面があるとしています.
   T.明るい⇔暗い 
   U.風景の多様性
   V.粗い⇔滑らか
  
 調査の結果,第Tと第Vの側面については,11歳と16歳の間で差が見られました.すなわち,16歳の子ども達と比べて,11歳の子どもは,「暗い」とか「粗い」という風景の要素を好まない傾向にあることがわかったのです.このような結果が得られた理由として,Bernaldezらは,これらの要素は「恐怖」や「危険性」などと関係の深いものであるため,より年齢の低い子ども達は好まないのではないかとしています.

 このような,風景の好き嫌いに関する研究結果は,公園などを計画する際に重要な役割を果たすと考えられます.例えば,水遊びのできる施設が整っている公園は,子どもにとって魅力的な遊び場となるでしょう.遊び場づくりにおいて,利用する子ども達の視点に立つということは,とても大切なことだと考えられるでしょう.

Balling, J.D., and Falk, J.H. (1982) Development of visual preference for natural environments. Environment and Behavior, 14, 5-28.

Bernaldez, F.G., Gallardo, D., and Abello, R.P. (1982) Children's landscape preferences: from rejection to attraction. Journal of Environmental Psychology, 7, 169-176.

Zube, E.H., Pitt, D.G., and Evans, G.W. (1983) A lifespan developmental study of landscape assessment. Journal of Environmental Psychology, 3, 115-128.

(松本 聡子)






 子どもに対して、親ならばある期待をもつことでしょう。何に対して期待をするか、どの程度の期待をするかは、人それぞれだと思いますが、このように「期待する」ということは、ごく自然なことです。親から子どもへの期待だけではなく、教師から生徒への期待は、学校場面でしばしば見受けられます。教える側にある教師が、学ぶ側の生徒にかける期待は、生徒の知能に影響を及ぼすことがあるのでしょうか。
 
 Rosenthal & Jacobson(1968)は、小学生を対象に、新学年が始まる前に知能テストを実施しました。そして学期の初めに、教師に学力の伸びそうな生徒の名前を報告し、その数ヶ月後に再度、同様の知能テストを行い、生徒のテスト結果がどの程度伸びたかを調べました。

 実は、教師に報告した名前は実験者が操作したもので、知能テストの成績とは何の関連もありませんでした。生徒の知能テストにおいて変化がみられたのは、1年生と2年生でした。つまり、「将来、学力が伸びる」と教師が信じた生徒は、その後のテストにおいて高い伸びを示し、何の期待ももたれなかった生徒は、期待された生徒よりも低い伸びしか示せませんでした。

 この結果はアメリカで大変話題になり、その影響からか、この結果を追試する研究が行われましたが、同じような見解は実証されていません。ただし、教師が期待をもつか否かにより、生徒に対する教師の接し方(話し方や表現の仕方など)に違いが生まれると指摘されています(Rosenthal & Jacobson,1968)。これは、教師と生徒の関係だけではありません。生徒が自分に対して期待をもつことが、その後の学習効果に反映されることも示唆されています(グロフィとグッド,1985)。

 このように、「期待をもつ」ことで、相手や自分自身との接し方が肯定的なものとなり、そのような相互作用を繰り返していくうちに、実際に効果が目に見えてくるのです。

 概して親は、子どもに対して過剰な期待をもつ傾向があるとも考えられますが、全く期待をもたないことは、子どもの可能性を狭めてしまうことになるでしょう。子どもの潜在能力を信じながらも、高くを望まない・・・難しいことですが、そうありたいものですね。


<引用文献>
ブロフィJ.E.&グッドT.L. 浜名外喜男・蘭千壽・天根哲治(訳)  1985 教師と生徒の
人間関係 北大路書房 
(Brophy,J.E.,& Good,T.L. 1974 Teacher-student relationships. Holt, Rinehart and Winston)
Rosenthal,R.,& Jacobson,L.F. 1968 Teacher expectations for the disadvantaged. Scientific American,218(4),19-23.

(小方 涼子)





  
 以前,子どもの個室の問題について取り上げましたが,今回は親,特に母親の個室の問題について考えてみたいと思います.

 町田・坂田が1995年に行なった調査によると,調査協力者のうち5人に1人の主婦が個室を持っていることがわかりました.これらに家事コーナーなど,個室に代わるような空間を含めると全体の約50%が,個室のような空間・場所を持っていることが明らかとなりました.

 ところで,母親にとって個室というのは,どのような意味を持っているのでしょうか?家族と暮らしていると,個室は「一人になれる場所」であり,「自分らしさを表現できる場所」と考えられます.子どもにとっての個室は,一人で勉強や趣味をする場所であり,また家の中で自分の好きなようにインテリアを変えられる唯一の場所と言っても良いでしょう.では,母親にとってはどうなのでしょうか.

 前出の町田らの研究によると,自分の個室が欲しい理由のトップは,「一人で読書をしたい」でした.次いで,「一人で趣味をしたい」でした.このことから,母親にとっても個室は「家族から離れて一人になれる場所」であり,そのような機能を希望する人も多いことがわかります.

 しかし,母親は,一方の「自分らしさを表現できる場所」という機能をあまり個室に求めてはいないように思えます.なぜならば,母親にとっては,個室という特定の場所よりは,家全体が自分らしさを表現できる場所となっていることが多いと考えられるからです.多くの場合,家全体のインテリアに最も反映されるのは,母親の趣味と考えても問題はないように思えます.これは,既婚女性をターゲットにした雑誌でもインテリアに関する特集を多く組んでいることにも表れていると思われます.このようなことを考慮すると,「自分らしさを表現する場所」としての個室の必要性は,母親にとってあまりないのではないかと思われます.つまり,母親にとっての個室の必要性は,一人になれる場所の確保という意味合いが強いと考えられます.

 また,町田ら(1995)は,個室希望と住宅の大きさとの関連を調べています.その結果,住宅が狭い→家族から解放されて一人になりたいという気持ちが強くなる→個室への希望が強くなる→しかし,狭いために個室を持つことの実現性が低い→より一層強い個室希望の意識という循環があることを示しています.

 どちらかといえば,母親の個室より子どもの個室が優先してしまいがちですが,母親が個室(的空間)を持つということの意味についても,考えてみるのもよいのかもしれません.

参考文献:
町田玲子・坂田希(1995)主婦の個室に対する意識―京都の都市住宅の場合―,京都府立大学学術報告(理学・生活科学),46,B系列,7〜13.

(松本 聡子)



 前々回(1月号)では、攻撃行動を観察することが、その模倣へと導くという見解を示した実験を紹介しましたが、果たしてこの実験の結果のみで、このように結論づけてよいのでしょうか。
その後Bandura(1965)が行った実験を紹介しましょう。

 42〜71ヶ月の幼児に5分間、テレビ(その内容はBanduraら(1963)で示したものとほぼ同じで、ボボ人形に攻撃を加えるというものです)を見せます。幼児は3つのうち、1つの群に割り当てられます。

 ・「モデル報酬群」では、攻撃的なモデルが強いチャンピオンと大人から評され、飴とソフトドリンクのほうびをもらうシーンが最後に付け加えられています。

 ・「モデル罰群」では、モデルはいじめっ子と扱われ、自分が与えた痛みを思い出させるために、大人がモデルに攻撃を加えます。

 ・「続きなし群」は2つの群とは異なり、ボボ人形への攻撃の後に、続きのシーンはありません。

 映像を見終わると、幼児はボボ人形やその他のおもちゃがある部屋に通され、攻撃行動を行うかどうか、10分間観察されます(報酬なし場面)。行動観察の後、幼児にはジュースが振舞われ、モデルが行った攻撃行動を模倣すれば、シールとさらなるジュースがもらえると教示されます。そして、実験者は「テレビでモデルがやったことを見せてよ」「彼(男性のモデルを用いました)は何と言ったのか教えて」と攻撃行動を促し、それを示した場合には、すぐに報酬を与えました(報酬あり場面)。ここで攻撃行動は強化され、その学習がなされるわけです。

 どの群の幼児も、まず報酬のない場面で攻撃行動を観察され、その後、実験者から報酬を得る場面において、同様のことがなされました。


 モデルを模倣した攻撃行動が生起した数を調べた結果、報酬なし場面では、男児は女児よりも、またモデル報酬群と続きなし群(この両群に差異はありません)はモデル罰群よりも、より多くの反応を示していました。報酬あり場面では性差のみが示され、男児が女児よりも強い攻撃行動をとりました。しかし、この効果は報酬なし場面と比較すると弱まり、女児もある程度の攻撃行動をとったことがうかがえます。

 次に、報酬なし場面と報酬あり場面において、それぞれの群で差異がみられるのかを調べました。その結果、男児はモデル罰群で、女児はすべての群において、報酬あり場面が攻撃行動を誘発していたことが明らかになっています。モデルの行動が非難されると知りながらも、攻撃行動が直接強化されると、その行動を生起させてしまうと結論づけられます。

 映像のモデルが報酬や罰を与えられるということよりも、大人が攻撃行動に対してポジティブに反応することの方が、攻撃行動の生起を促すことがお分かりいただけたと思います。攻撃行動の観察自体、その行動の模倣へと導きがちではありますが、望ましくない行動であることを教えること(罰を与えること)によって、攻撃性を抑制することが可能になると考えられます。物事の善悪をきちんと示せば、「反社会的な行動を観察することがその模倣へとつながる」ということが適切な見解であるとは、必ずしも言えないでしょう。

参考文献
Bandura,A. 1965 Influence of model's reinforcement contingencies on the acquisition of
imitative responses. Journal of Personality and Social Psychology,1,589-595.
Bandura,A., Ross,D.,& Ross,S.A. 1963 Imitation of film-mediated aggressive models.
Journal of Abnormal and Social Psychology,66,3-11.


(小方 涼子)





   例えば,誰も乗っていない電車に乗り,どこでも好きな場所に座って良いと言われたら,人はどこに座るでしょうか?多くの人は,端の席に座るでしょう.次に乗ってきた人は,初めに乗った人からなるべく離れた場所に座ると考えられます.このように,人間には他者との間にある一定の物理的距離を保とうとする傾向があります.

 この距離は,そのときの状況や人間関係によって変化します.知っている者同士であれば,比較的近くなっても不快感を持ちませんが,全く知らない人が近くにくると,逆にこちらが相手から離れ,距離を確保しようとすることがあります.

 さらに,体の向きも重要です.前から近づかれると不快に感じる距離でも,背中合わせであれば,それほど気にならない場合もあります.ですから,十分な距離が他人との間に確保できない満員電車などでは,人々はなるべくお互いに向き合わないように苦労して体の位置を変えていると考えられます.つまり,距離の場合のように,向き合うような体の向きは知人同士,背中合わせの体の向きは他人同士といったように,体の向きにも人間関係が反映されているのです.

 このような行動の傾向についての研究結果は,公共の施設における家具の配置にも応用されています.図書館など,それぞれが静かに読書などをしたいと思って訪れるような場所では,一つ一つの席の間にゆとりを持たせたり,背中合わせになるような席の配置をしたりといったことが考えられます.また,レストランやバーなど,社交の場とも,ひとりで静かに過ごす場ともなるような施設では,それぞれの店のコンセプトに合った席の配置をすることが効果的であると思われます.

 さらに家の中では,周りに座る者同士の距離も近く,向き合うような配置になるところは,家族が集まって食事や会話を楽しむような場所となります.家族の個室化が進み,それぞれが顔を合わせることが少なくなってくると,親子のコミュニケーションをはかる場所として,食卓やこたつはとても適した場所であるといえるのかもしれません.


<参考文献>
Gifford, R. (1996) Environmental Psychology (2nd Ed.), Allyn and Bacon.

(松本 聡子)




   子供による犯罪や暴力が社会問題として取り上げられていますが、そもそもこのような行動を、どのようにして知りえるのでしょうか。暴力シーンの多い映像を子供に見せることに対しては賛否両論ありますが、これを実験的に示した研究があります。

 Banduraら(1963)は、35ヶ月から69ヶ月までの幼児(平均年齢は52ヶ月)を被験者として、この幼児にモデルの攻撃行動を観察させ、その後、幼児の行動を観察するという実験を行いました。モデルは、ボボ人形(Bobo doll:ビニール製で、起き上がりこぼしのような形の大きな人形)に身体的攻撃と言語的攻撃という2種類の攻撃を加えます。

 身体的攻撃とは次の通りです:「人形の上に乗り、人形の鼻を繰り返し叩く」「人形を起こし、頭を木槌で続けて打つ」「人形を空中に投げる」「蹴飛ばす」。このような攻撃が3回繰り返され、その合間に、言語的攻撃が示されました(「鼻を殴れ」「下へ落とせ」「空中に飛ばせ」「蹴ろ」など)。

 幼児は、1つの統制群と3つの実験群のうち、1つの群に割り当てられました(日常の攻撃行動においては、群によって差異がないように配慮されています)。統制群はモデルによる攻撃行動は観察しません。それに対して、実験群はそれぞれの方法で、モデルを観察することになります。この3群は実験室に入り(絵を描くように教示されます)、そこでモデルの行動を観察します。

 実際に目の前で人物が攻撃を加える群(実在人物群)では、後から入室した人間(男性か女性)が、置いてあったボボ人形に攻撃を加える様子を目の前で観察します。

 その他の2群は、フィルムを通してモデルを観察しました。
人物をフィルムで見る群(人物フィルム群)は、絵遊びをしている間、スクリーンに映像(10分間)が流されると教示されました。
一方、マンガに登場するネコをフィルムで見る群(マンガフィルム群)は、テレビをつけ、マンガの番組を見せました(実際には、実験用に作られた映像)。

 攻撃の程度はいずれの群においても同様で、上記の身体的・言語的攻撃を、モデルがボボ人形に与えるというものでした。ただモデルが、人物であるかマンガのキャラクターであるかの違いです。なお、実験者は、攻撃が行われている間は部屋を出ていました。
 
 その後、被験者はたくさんのおもちゃが置いてある別の部屋に入り、20分間過ごします。そこには、ボボ人形も含まれていました。これらのおもちゃに対して、被験者がどのような行動を示すかを観察し、攻撃行動の指標としました。

 その結果、実験群は統制群よりも、また男児は女児よりも、より多くの攻撃行動を示しました。さらに、統制群と比べて、モデルの模倣ではない攻撃行動を多く示したのは、映像を通して攻撃を観察した2群でした。このように、攻撃行動を観察することにより、その行動を模倣しやすくなるばかりではなく、観察していない攻撃行動まで示すことが明らかになりました。
 
 以上のような見解が得られましたが、この結果から、映像で攻撃行動を示すことは、行動の模倣を引き起こすと結論づけてよいのでしょうか。次々回(2002年3月号)においては、他の研究を紹介し、どのように攻撃的な映像と向き合うかについて考えたいと思います。

参考文献
Bandura,A., Ross,D.,& Ross,S.A. 1963 Imitation of film-mediated aggressive models.
Journal of Abnormal and Social Psychology,66,3-11.

(小方 涼子)



住居は安全でかつ健康的な生活を送ることのできる場所であることが重要と考えられます.しかしながら,その家に住んでいることによって,体に不調が現れる場合もあります.世界中には,住宅条件の悪い地域がまだまだ沢山あります.そのような地域では,一戸あたりの人口密度が極めて高く,身体的な面からも,精神的な面からも,健康な住居とは言えないケースが数多く見られるようです.

 それでは,住居と健康の問題について,身近な例を挙げてみましょう.アレルギーや呼吸器系の疾患に影響があると考えられる室内の空気について考えてみます.

 最近のマンションなどは,気密性が高いため,冬は一戸建て住宅に比べて室内は暖かいのですが,隙間風なども入りにくいことから,空気はよどみがちになってしまいます.さらに,室内の湿度が上昇し,カビなどの発生の原因にもなります.これは,住んでいる人の健康にとって,良い状態ではありません.このような状態を避けるために,窓を開けたり,換気扇を回したりして,できるだけ換気を行なうことが大切だと考えられます.

 次に,子どもの健康という視点から,家庭内事故について考えてみます.家の中で起こりうる事故には,階段などからの転落,床の段差などによる転倒,誤飲など様々なものが考えられます.一人で動き回れるような年齢になると,特に注意が必要です.
 子どもの行動は予測がつきにくいため,どのような状況・モノが事故を引き起こすのかもなかなか判断できません.しかし,階段に柵をつける,色々なものを出しっぱなしにしない,子どもの手の届くところに口にしたら危険なものは置かない,など大事に至る前に出来るだけの防止策を行なっておいた方がよいと考えられます.

 以上2つの例は,住居が住人の身体的な健康に及ぼす影響についてのものでしたが,住居は精神的な側面についても影響を及ぼす場合があります.例えば,騒音や過密(十分なスペースが得られない)などといった状況が挙げられます.

 健康な生活を送るために,住居についても,ゆっくり考え,必要であれば行動を起こしてみることが必要なのではないかと考えられます.
(松本 聡子)




 前々回(9月号)では、パズルを解くという課題が達成された際に、どのような報酬を与えるかということが、後の課題興味に及ぼす影響について述べました(Deci,1971)。

 その結果、有形な報酬である「お金」を与えると、課題への興味である内発的動機づけが低下することが明らかになりました。それに対して、無形な報酬として「誉める」と、動機づけは維持されることが示されました。

 デシ(1980)は、報酬が2つの側面をもっていると想定しています。

 その1つは、行動を制御(コントロール)する側面(「制御的側面」)です。報酬を与える側の立場では、(報酬を)与えることにより、報酬をもらう側の行動を持続させようというねらいがあります。内発的に動機づけられた行動というのは、自分で行動を制御していることになります。しかし、報酬をもらう側では、(報酬を)もらうことで、行動を制御している人が、自分から他者へ移行すると感じます。極端に言いますと、他者に操られてしまうわけです。このように、内発的に動機づけられた行動であっても、報酬の導入を機に、外発的に動機づけられた行動になるため、内発的動機づけが低下するのです。例えば、「お金」や子供が望むほうびは、この「制御的側面」をもっていると考えられています。

 報酬の2つ目の側面は、有能さと自己決定に関する情報を与えるというものです(「情報的側面」)。ある成果を上げ、それに対して報酬が与えられたならば、その活動において自分が有能で、自己決定的(自律的)であるという情報を入手したことになるでしょう。特に、「誉める」ことや正のフィードバック(課題成果に対して、優れているという情報を与えること)は、この「情報的側面」をもっていると考えられています。

 このように、報酬が与えられたときに、どちらの側面が顕在化するかにより、その後の行動に変化が生じるのです。Deci(1971)の実験でいいますと、「お金」が与えられた群は、行動が制御されたと感じ、金銭報酬を期待する姿勢ができてしまったための結果であります。「誉める」ことがなされた群は、言語報酬が制御的側面ではなく、情報的側面を強調しているため、パズルに従事する行動が維持されたわけです。

 行動を持続してほしいと願う場合には、報酬を与える側は、報酬をもらう側の内発的動機づけを損なわないように、注意が必要です。



引用文献
Deci,E.L. 1971 Effects of externally mediated rewards on intrinsic motivation. Journal
of Personality and Social Psychology,18,105-115.
デシE.L. 安藤延男・石田梅男(訳) 1980 内発的動機づけ 誠信書房
(Deci,E.L. 1975 Intrinsic Motivation. NY: Plenum Press.)

(小方 涼子)



子育て中の方にとって,子どもの部屋の確保はとても重要な問題であると考えられます.子ども部屋の確保ができないことは、少子化の一因であるとも言えるようです.

 東京都内に住んでいる25歳から39歳までの人を対象に行なった調査の結果によると,全体の7割弱の人が少子化に影響を与える住宅事情として,「子どもの成長に応じた広さや部屋の確保ができない」という項目を選択しています.
 また,子どもが成長し子ども部屋が必要になったため,広い間取りの家に引っ越すというのは,転居の理由として多くの方が挙げられるようです.以上のように,子ども部屋の確保というのは,家族にとって大きな意味を持つと考えられます.

 では、なぜ子ども部屋が必要なのでしょうか?
 
 当初,多くの親達は,子どもに個室を与えれば,子どもは落ち着いて勉強することができると考えていました.その後,少年犯罪との関係などで「子ども部屋」の是非が議論されるようになりました.親が子どものためを思って確保した「子ども部屋」が親子のコミュニケーションの機会を減らしたり,親の目が届かない「子ども部屋」が犯罪の温床になる可能性もあると指摘されました.
 
 このようなことをきっかけとして,単純に子ども部屋の必要性だけの問題ではなく,子ども部屋の意味を再確認することが必要となってきていると言えるでしょう.

 現在では,間取りの面でも,様々な工夫もなされるようになってきています.家族の集まるリビングルームを通り抜けないと,自分の部屋に行けないような間取りにしたり,子どもが小さいうちは,個室ではなく,子どもの「コーナー」のようなものをリビングの一角に作り,大きくなってから個室を与えるといったように,成長段階に応じて間取りを変化させたりといったことが挙げられます.

 子ども部屋の確保だけにとらわれず,家庭の中でその「個室」の持つ意味などについてもう一度考えてみると,また違った「子ども部屋」のあり方の可能性もあるのではないでしょうか.

参考文献:「若い世代の東京の居住に関する意識調査」1998年3月 東京都住宅局総務部
(松本 聡子)





 何か望ましいことをしたときに、自分以外の他の人から「ごほうび」をもらう経験をしたことがあると思います。おそらくどんなときでも、ごほうびをもらうことは嬉しいことでしょう。しかし、そのごほうびをもらったことにより、自分自身の中で、ある変化が起きる可能性にお気づきでしょうか。

 デシ(1971)という心理学者がある実験を行っています。

 実験に参加した大学生は、与えられた絵と同じように立体パズルを組み立てるという課題を行います(このパズルは、大学生にとって興味深い課題であると考えられています)。

 実験者は大学生(実験者に対して、被験者といいます)と同室にいるのですが、データ分析のためと称して、各セッションの中間時点で実験室を離れます。この間(8分間)被験者は何をしていても構いません。実験室には数種類の雑誌が置かれ、読むことも可能な状況です。
 
 被験者がこの時間、どのように過ごすかということが、実験のみどころとなるわけです。つまり、誰もいないところでも、与えられたパズルに従事していれば、パズルにかなりの興味を示していることになります(このように、ある活動を行うこと自体に満足感を覚え、自発的に行動を起こすことを「内発的動機づけ」といいます。それに対
して、報酬をもらうためや、他者からの勧めに応じて活動がなされる場合を「外発的動機づけ」といいます)。
 
 この実験は3つのセッションからなり、第2セッションで、パズルが完成すればお金(1ドル)が報酬としてもらえる群(実験群)と、何の報酬も与えられない群(統制群)の2つに分けられました。第3セッションでは両群ともに報酬はなく、報酬をもらえる群には、十分な予算がないために、1つのセッションでしか報酬を支払うことはできないと告げられました。

 このような手続きがなされた際に、実験者のいないときにパズルを解く作業時間は、どのように変化するのでしょうか。第1セッションと報酬のなくなった第3セッションを比べると、金銭の報酬をもらった実験群はパズルを解く時間がかなり減りましたが、報酬のなかった統制群はその時間が増えました。つまりここでは、「お金」というごほうびを与えることは、個人の内発的動機づけを低下させてしまうことが示されたわけです。
 
 またこの実験では、金銭報酬の代わりに、言語報酬(「よくできました」「他の人よりもいいです」)を与えた群についても検討しています。そして、金銭報酬とは対照的に、言語報酬は内発的動機づけを維持する働きをすることが示されました。
 
 以上の結果から、有形な報酬である「お金」と、無形な報酬である「誉めること」とでは、内発的動機づけに異なる影響を及ぼすことがうかがえます。

 実験者のデシは、これについて、どのような説明を行っているのでしょうか。次々回(11月号)に解説いたします。


引用文献
Deci,E.L. Effects of externally mediated rewards on intrinsic motivation.
Journal of Personality and Social Psychology,18,105-115


(小方 涼子)




前々回のコラムの中で,外遊びの場所を確保することが難しくなってきていると書きましたが,実際のところ,どのような点で難しくなってきているのでしょうか.

 公園について考えてみると,以前行なった調査から,公園が近くにあると答えている方は予想以上に多くいらっしゃいました.しかしながら,問題は「安全性」や「清潔さ」と言った公園の「質」にあるようです.安全性に関しては,遊具の管理,防犯管理などが,また「清潔さ」に関しては,砂場の衛生管理などが問題になっているようです.以上のことから,公園については,「量」はもちろんのことその「質」も同様に求められていると考えられます.

 また,夏場になると水遊びができる公園などにも行きたくなるところですが,やはりここでも通常の公園と同様,衛生管理や安全性の問題があり,なかなか清潔で安心して遊ぶことのできる場所を探すのは難しいようです.水遊びの場所に関しては絶対的な「量」も少ないので,わざわざ遠くの水遊び場まで行かなくてはならないということもあるでしょう.

 自然を体験する,という意味での遊び場は「量」「質」ともに確保するのが難しいと言えるでしょう.公園や水遊びの場も,現在では殆どが人工的なものであるため,なかなか動植物と接する機会はありません.しかしながら,人工的なものはある程度の「きれいさ」は確保できているので,ある側面の「質」は需要を満たしているといえる場合もあります.しかしやはり「自然の美しさ・素晴らしさ」を体験できるような遊び場が身近にあるといいのではないでしょうか.

 外遊びだけではなく,屋内の遊び場も重要です.特に雨の多い梅雨の季節は,家の中にこもりっきりでは,子どももストレスがたまってくるでしょう.雨の日の遊び場も子育て中の親御さんから比較的要望の多い施設です.集合住宅などでは住居棟内にプレイルームを設けているところもありますが,公共施設を開放してほしいという意見もありました.遠くの屋内施設まで行くのは雨の日にはとても大変です.しかし,家の近くに雨天時に利用できる施設があれば,子どももきっと喜ぶことでしょう.
 
 遊びを通して,子どもは多くのことを学びます.安心して遊び・遊ばせることのできる場所や施設が自分たちの暮らす場所の近くにあるということは,子どもにとってだけではなく,育てる側にとっても,大変重要なことであるということが言えるでしょう.

(松本 聡子)










我が娘は現在1歳8ヶ月になるが、様々なものを認識できるようになってきた。その一つに、「色」がある。まず「赤」と言い始め、その後、「青」「黄」という具合になっている。しかし、それぞれの色をきちんと把握しているのかどうかは、甚だ疑わしいのである。例えば、赤い積み木を指して「赤」と言ったかと思えば、青いボタンを「赤」と言い、親としては、がっかりさせられることばかりである。

 その中で、興味深いことがある。娘が「赤」しか言えないときに、私は「青」を教えていた。あたり構わず、ものを指しては「あか」「あか」という中で、青いものがあると、「これは何色?あ・お」と言い聞かせていたのである。このような状態が続き、めでたく、「青」を理解するようになった(と思っていた)。今度は、他の色へ移行しようと考えているとき、白いものを指していたので、「これは何色?」と尋ねると、何と即答で「あ・お」と答えたのである。つまり、娘は「これは何色?」という問いに対しては、「あお」と答えるものと認識していたことが窺える。

 「これは何色?」と「青」を対にして覚えていたと想定されることから、これは一種の対連合学習であろう。言語を例にとると、英語の単語と、それに対応する日本語の単語を覚える、というのが対連合学習である。「これは何色?」「あ・お」というやりとりを通して、この2つの言葉を連合(結びつけること)させるようになったのであろう。
 
 また、娘が正確に対象物の色を言えた際には、「よく言えました!」と誉める言葉をかけ、頭をなでてあげていた。おもちゃやお菓子などの有形な報酬(ほうび)ではなく、言葉や行動という無形の報酬ではあるが、これも学習を促進させる一因である。自発的な行動に対して報酬が得られると、その行動は繰り返し生じ、学習される(自発的な反応をオペラント‐operant‐ということから、このような学習をオペラント条件づけという)。罰という不満足な結果が与えられると、その行動は抑制されるが、満足感の得られる報酬は、行動を促進するのである。「あ・お」と答えることで誉められるという意識の下、娘は自信をもって言葉を発したのであろう。
 
 言語に限らず、子供は大人の意図しないところでも学習を行い、そして知らず知らずのうちに、その学習を大人が強化(オペラント条件づけの場合は、行動に対して報酬が与えられることをいう)している可能性がある。子供が悪いことを学習したからといって、怒ってばかりもいられないかもしれませんね。


(小方 涼子)




  子どもや育児中の親御さんにとって,遊び場の確保は重要な問題であると考えられます.東京都の調査でも,約2割の方が「出産・育児に必要なもの」として「遊び場の整備」を挙げています(東京都,1997).

  ところで,外遊びは子どもの成長にとってどのような重要性があるのでしょうか.

  まず,自然環境とのふれあいが挙げられます.以前行なった調査で,「夏場,水遊びをするところで水生動物を子どもに教えたい」と回答なさっていたお母様がいらっしゃいました.自然界に存在する動植物を実際に見たり,触れたりすることによって,豊かな経験をすることができるでしょう.また,屋外では家の中ではなかなかできない遊びをすることができます.例えば水遊びが挙げられます.「家にビニールプールを置くスペースがないので,地域の水遊び場を利用している」というお母さんが大勢いらっしゃるようです.

  また,集合住宅などでは隣近所に気を遣って,家の中では思いっきり体を動かすことができないお子さんにとって,広い空間で遊ぶことはとても大切です.次に,公園などの場所には同じような年頃の子ども達が集まってくるので,家の中では大人としか接触する機会のないお子さんでも,仲間と遊ぶという体験ができます.遊具などがある場所では,順番を守って遊ぶ,という集団遊びの基本を学ぶことができます.
 
  お子さんだけではなく,お母さんにとっても子どもを連れて外遊びに出かける,ということは大切だと考えられます.公園などは,お母さん同士の交流の場,育児に関する情報交換の場として重要な役割を果たしていると思われます.家の中でお子さんだけとずっといると,どうしてもストレスがたまってしまうというお母さんは,お子さんと一緒に外遊びに出かけてみると,お母さんもお子さんもストレス解消になるでしょう.

  また,高層集合住宅など,外遊びに出ることが億劫になりがちな住環境では,親子が部屋の中にこもりがちになり,親子の間に過剰な密着関係が築かれ,子どもの基本的生活習慣の自立が遅れるのではないか,という意見もあります(織田,1990など).
 
  外遊びはお子さんにとってもお母さんにとっても様々な良い面があると考えられます.都市部で外遊びができる場所を探すのはなかなか大変なことですが,積極的に外遊びに出かけられてはいかがでしょうか.

(松本 聡子)

参考文献:

織田正昭 1990 
高層住宅居住の母子の行動特性とその影響 保健婦雑誌 Vol. 42
No. 9 pp. 754-760.

東京都 1997 
東京の子どもと家庭―平成9年度 東京都社会福祉基礎調査報告書―
東京都福祉局総務部企画調整課




ヒトゲノムの研究が世界各国で競うように行われ、その全容解明が待たれている昨今です。遺伝子の解明は、新薬にもたらす影響が大きいと考えられ、また、個人の遺伝情報が明らかになることにより、病気への可能性を把握し、自己管理がしやすくなると期待されます。
 
 しかし、このような効用とは裏腹に、万が一にも個人情報が漏れた場合には、新たな差別を生み出すことを危惧している方もいらっしゃるはずです。つまり、自分がどのような知能をもち、どのような性格を示すのかが、遺伝子から理解できてしまうからです。

 それでは、本当に遺伝子が、誕生してからその後の人生を決定してしまうと言えるのでしょうか。もちろん、遺伝情報をすべて変えることは不可能ですが、この答えは「ノー」と言っても過言ではないはずです。

 心理学の研究では双生児を対象とし、知能を規定する要因を検討したものがあります。この研究を行う上で、遺伝子がほとんど完全に同一である1卵生双生児と、兄弟ほどにしか遺伝情報が同一ではない2卵生双生児を比較することが重要となります。それぞれのIQを測定し、双生児間での一致度(相関関係)を調べると、1卵生双生児は2卵生双生児よりも、その一致度が高いことが分かっています。これは、知能が遺伝によって規定されうることを示しています。
 
 しかし、この研究だけで、「自分の知能は親から授かったものだから、もうどうにもならないのだ」と結論づけるのは早すぎます。もう1つの研究を紹介しましょう。

 今度は、2卵生双生児と兄弟のIQを比較します。前述のように、2卵生双生児の遺伝情報の類似度は兄弟とほぼ同一です。その結果、2卵生双生児の方が、兄弟よりもIQの一致度が高いことが判明しました。
 
 兄弟は出生の順序により、家庭内外での地位や役割に加え、期待されるものが異なると考えられます。周囲の接し方や態度さえも、兄弟では差異があるでしょう。それに対して、2卵生双生児は同年ということから、「お兄ちゃん、お姉ちゃん、弟、妹」といった区別をされる機会はわずかなのではないでしょうか。このように、兄弟では、同じように育てているつもりでも、その生育環境は異なることが予想され、つまりは知能において、環境の要因も考慮すべき問題なのです。

 一個人がどのような運命を辿るかは、遺伝子以外によっても方向づけられるのです。自分をどのような環境におくのか、また、子供をどのような環境の下で育てるのか、このことが大切なことです 。

(小方 涼子)



Vol.1 2001年4月『子育てと住まい』

小さい赤ちゃんや、お母さんは一日のうちのほとんどの時間を家の中ですごします。ですから、家という環境は、赤ちゃんやお母さんにとって大切だと言えるでしょう。安心して気持ち良く過ごすことができる環境を維持することが必要です。安心して快適に過ごすことのできる家とはどのような家なのでしょうか。

健康の面から考えると、「シックハウス症候群」などの恐れがないこと、日当たりや風通しが良いことなどが挙げられます。換気不足は重要な問題で、シックハウス症候群との関係性も指摘されていますし、カビやダニの発生原因ともなります。

安全性の面から考えると、家庭内事故の危険性がないことが挙げられます。段差などがないこと、子供の手の届く場所に危険なものがないことなどがそのポイントとなるでしょう。特に、転倒や転落などを防ぐと言う意味で、段差のないバリアフリー住宅はお年寄りのためだけではなく、赤ちゃんにも優しい住宅であると言えるでしょう。また、赤ちゃんは一時期、何でも口に入れようとする時期があります。そのような時期に、赤ちゃんの手の届くところに口に入れてしまっては危険なもの(タバコ・錠剤など)が置いてあると、誤飲事故につながる場合があります。

さらに、育てる側からの視点に立って考えてみると、育てる側が精神的にもゆったりと子育てができる環境であることが重要です。例えば、隣近所への音漏れの問題です。育児中の多くの方が、隣近所への音漏れに気を遣っていらっしゃるようです。周りに同年齢ぐらいの赤ちゃんがいない場合や住宅密集地・集合住宅などでは特に気を遣われるようです。音漏れに対してあまりに神経質になりすぎると、ゆったりと過ごすことが出来なくなってしまいます。また、スペースの問題も重要です。収納スペースが少なく、モノが家中にあふれかえっている状態も、イライラする原因となる場合があります。これらのようなことが原因で、育てる側の気分が不安定になると、その影響は赤ちゃんにも及びます。ですから、育てる側が快適に暮らせる家というのは重要な意味を持っていると言えるでしょう。

今まで述べたこと以外にも、赤ちゃんだけではなく、育てる側も安心して気持ち良く過ごせる家の条件は沢山あると思われます。現実問題として、それらを全て満たすような家で暮らすことはかなり難しいことです。しかし、子供を産まない一つの理由として「住宅問題」が挙げられる現在の状況を考えると、この「子育てと住まい」の問題について今後も考え続けていかなければならないと思います。

(松本 聡子)




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